最近スカイプというのを試してるんだけど、どうなんすかね、あれ。無料だけど。何かだらだらと話してしまうな。パキッとした区切りがなくなって、「なんかもう、だからね、あれなのよ。うーんとね、だから、だけど、それが、えーと、うまくいえないなー、あはは、そうだけど…」みたいに、みんなが女子高生喋りになる。けど、教室とかバス停とか、喫茶店とかで女子高生が喋ってるのとはわけが違いますよ。だってスカイプってあれ、パソコンを前にして女子高生喋りやってるんですよ。怖いじゃないですか。なんか、だめでしょ。うちのカメラ付いてないし、さらにいけないでしょ。なんか。病んでしまう気がする。
ところで我が家のベランダの手すりすれすれを低空飛行してるカラスが、どうしても蝉を食べたいらしく、蝉が飛んでるのを見ればすぐに追いかけまわしている。蝉が捕まったのを見たことはない。しかしまぁ、そのうち捕まっちゃうんだろう。
私は短い文章を書くのが結構好きで、なんか、得意かも、とか思っているが、そうでない人も多い。どうもそういう人たちは、日記を書いても忘れられないらしい。それって、気持良くないってことだろうか。それとも他の理由で気持ちよさを感じてるんだろうか。わからない。そういう人の中にも、詩や長い文章はとっても素敵、という人はいて、もしかしてそちらで発散してるのかな。
最近勉強がはかどらないがこれは仕方のないことで、だって家が灼熱地獄だし、財布には457円しか入ってない。のでファミレスに行くのもちょっとためらうし。扇風機、熱風機になってるし。誰か家が涼しい人は私をかくまってください。夏が終わるまで。勉強してないと苛々するんです。たまに。こういうところ、お父さんの子供だなとか思うんだけど、そう思うとまた苛々するし、頼むから涼しくなれよ。
こないだ大学生(女です)の家にケーキ食べさせてくれるって言うから遊びに行ったんだけど、その人にトイレから出てきた瞬間、「鍵を閉めろ」といわれた。注意された。私、他人の家に行ってもトイレの鍵閉めないんですよね。「鍵閉めないと襲われるよ」て言われた。さすがに外のトイレとかでは閉めますけどね。しかし、知り合いの家に行って「鍵閉めないと襲われるよ」なんて、そんなに邪悪に満ちているのか、このせかいは。
とか思って、「そんなことあるのかー?」と思って他の大学生に会ったら、「なっちゃん襲われなかった?」と言われた。なんのこっちゃと思っていたら彼女は要するにレズビアンだったみたいだ。どーでもいいけど。「襲いたくなるのなんておめーだけだよ。」と思った。一瞬でも世界に絶望しかけたじゃないか。ははは。大丈夫でした。めっちゃ高いケーキ食べました。つか、あの時点でちょっとおかしいと思うべきでした。だってあれはこの辺一帯では手に入らない、デパートとかに行かないと買えない、ノ○エットって所の高いケーキでした。ちなみにノ○エットの店長の永井さんの息子は、私の公立中時代の同級生で、悪友で、ケーキ屋の息子のくせにエクレアしか食おうとしない、「うちの店で美味いのって、エクレアだけじゃね?」とか言ってる変な奴でした。私あいつのこと、すごいすきです。すごいいいやつです。灰汁も強烈にあるけど。今どうしてるのか知らないけど、絶対会いたい。まあ、いつか会うよね。ノ○エット継いだら居場所も分かるし。でもなんかそしたら金持ちにたかってるみたいでやだな。
ちなみに本店は京王線下高井戸駅から徒歩二分のところにあるので、まあチョコレートくらいならそんなに財布に響かず買えるはずですので、機会があったら食べてみてください。
7月25日
みじめなのは、自分が生きていくためにつまらない人間になっていくと感じる時だ。
本末転倒だ。
くだらないバカばっかりやって自分は楽しく、周囲は号泣していた日々を思い出しては、自分も擦り減ったものだとおもう。こともある。
それは一夜の錯覚でなければならないはずなのに、結構長引いたりして。悪夢だ。
誰が否定しても面白いやつでいるためにはそれなりの自信が必要で、自分には今それがない。自信がないと自信がないやつばかり友達になろうとしてきて、自信がない奴の中で安心してしまう。最も悪い状況だ。胸のどこか奥底で、オレは馬鹿じゃないと訴えつつも、馬鹿やって許された時の友達はもう傍にいないんだから、一人きりだ。
怠惰の象徴みたいに夏休みには部屋が汚れてゆき、インスタント麺のカップを週末にゴミ捨て場に捨てに行く。近所にあいさつするにも何かと面倒くさく、テレビを見るのも馬鹿らしく、数学ばかりやって、いっこうに進歩せず、もはや神秘的な無力感にさえ苛まれてね。あえて残されていく生き物の抜け殻みたいなものを悲しみながら葬り、家族と日に三度のあいさつ。どこが真夏で折り返し地点なのかもわからないままこうして暑がってパタパタとうちわを使っている。
誰に対しても残忍になれず、自分を臆病というのも気に障り、優しいというのも癪に障る。変わっていくという実感もなく、変わっていかなければという焦りだけがある。こっちをはずせばこっちが癒着し、こっちをくっつければあっちがずれる。筋書きなどどこにもない。あるとしてそれがなかなか残酷なシーンの連なりであることは間違いない。目が痛い。太陽と照り返しがやたらとぎらぎらのJ-POPを輝かせて、これが夏か。波に乗れない。水ばかり飲んでいてね。
弱音を言うようだがやはり家族というのは全員必要だ。こうして不安定に何人か欠けて住んでいればいつも誰かが悲しんでいる。ほんとに、うまくいかないので、みなさん、離婚は格好悪いです。
プールに忍び込みたい。ガラスを割りたい。自販機蹴りたい。誰かの金でボーリングをし、夜の2時過ぎ、家に帰り、家族の顰蹙を買い、父親は発狂寸前で怒り散らし、弟がわたしをなじった、数年前の夏の日。自由だった自由だった。自堕落の中に進歩が見いだせた。誰にとって自堕落に見えたって、自分の中の進歩ならそれでいいのにな。
年を取ったアーティスト。何のことはない。時が経っただけだ。それでもまだ生きていく予定なんだから負けたくない。
あの日と同じ生命の強さで生きてるはずなのだ。今だってやろうと思えば同じ声で叫べる。ただあの日の仲間だけがいない。寂しい。ただ寂しい。今の友達なんてどうでもよくって、あの頃の友達が今も友達だったなら。
いまだって屋上でマンゴージュースを飲むくらいの勇気はある。ただあの二人がいない。街を離れたのは失敗だったんだ。今でも思ってる。あのころこんな日々を過ごすなんて、想像だにしない。大きくなることは寂しい。身体が大きくなると見せかけて、もっと大きなもに餌をやって育てている。
自分はなにを愛していた。大切にすると決めてすぐに捨てた。もっと近くに寄りたいと望みながら、一番必要なものをも自分が手にしていないからと諦めた。若さのせいになどできない。自分を考えるときに本来、若さや未熟さなんて言葉はない。
愛されることなんて考えもしないでいた、あの頃の、本当は愛されてもみくちゃになっていた、周りを泣かせては嘲笑っていた、でも仲間はいて、いつも死ぬときは一緒だと言いあっていた。あの頃!でも今は一人だ、やることと約束だけがにわかにあり、雨が降れども誰に傘を持っていくでもない。夏のこんな雨の日にはスタジオヤマギシへ駆けて行って、真っ赤な傘を開いたあの日には、そこにもここにも友達はいて、雨が降ればみんなそこにいて、雨にまみれて結局は家に帰らず遊んだ。だからカラオケなんて知らなかったんだ。余りある若さってのと、他人の不幸と自分の成長がなんの遠慮もなくそこにはあって、わき目もふらず夜が好きだった。
白く光る公園の電灯と明日の祭りの予定だけが頭の中にある夏休み。今頃はそういうふうに空っぽだった。そこには確かに絶望はあったが、それは未来へまっすぐ抜けていく絶望であって、今の絶望はぐねぐねとどこへ向かうか分からない。
今あそこへ戻ってももう彼らはいないし、きっと何時までもそんなこと、思ってても口にしたりしない。自分は弱い人間なのです。ほんとうは。
7月24日
団地の階段の一等上までのぼって調布の花火を見ていた。団地の住民が何世帯か集まって、蚊を潰しながら世間話をする。そういう風景。子供がたくさんいる。
母が先に帰ったのをいいことに、色々本当か嘘か分からないような嘘話をして、一夜だけのご近所さんを作ってきた。明日になれば別に話すこともないなぁ、とか思いながら。ほんとは今日だって別に大した話題もない。団地とはそういうところで、そういう人たちが住んでいる。
花火を見てから自転車に乗って本屋へ行き、アフタヌーンを買う。関係のない雑誌をめくっていたら、高校生のカップルの男の子のほうが、「今日発売日だから待ってて」と言って女の子を待たせてアフタヌーンを買って行ったので「ああそうなんだ」「お、特別価格だ。」と思って(毎月特別価格680円だそうだ。なんで毎月なのに特別価格なんだろうな。)自分も買ってきた。まだ読んでいない。昔アンケートに答えたらもらえた図書カードを使った。
ここ一週間くらい、自分はちょっと壊れているのであんまり親しい人には合わないようにしている。そうするとこれがもう、ほんとに寂しいんだよね。でも壊れてる時に友達に会うともっと面倒くさいことになって疲れるし。とにかく勉強だ。しかし暑いな。
何が原因で私が今こんなにぐらぐらしているかというと、夏のせいばかりではない。色々あったんですよ。とくに破門騒動とか。
どっかに枝ぶりのいい松がないものか。前に住んでいた街にはいっぱい生えていたんだけどなぁ。夏になるとあの松が恋しくなるのぉ。先生に本返さなきゃ。
7月24日
こうも暑いと、勉強する気もうせてきて、やたらぼんやりと昔の作文を読んだり、八百屋に通ったり、コンビニで立ち読みしたり、もうどうしようもないことばかりを続けてしまう。花火でも見てこようかと思うが、それも面倒くさい。それなりに疲れているので転がっていれば寝てしまい、さらに汗をかく。無理して勉強しても暑さでぼんやりして知識が増えている気分もしない。ファミレスも追い出されるし、なんかもう、どこで勉強しようかな。ほんとうに。
冷蔵庫を漁っても、もうすでにほとんどの食品は食べつくされている。財布の中には、去年の暮れからいつかのためにと取っておいた五千円札が一枚残っているだけで、いまがその、「いつか」なんだろうか。別にまだ我慢できる。漫画を売ればいい。いにおとか。もういにおにはうんざりだ。なんでいにおのせいでこんなに色々踏み外さにゃならんのだよ。いにおが悪い。いにおがわたしを追い詰める。まあ、私も悪いけどね。
裁判所か弁護士か分からないが、改まった封筒が週に何通も来る。それらを郵便ポストから出すたびに、「もうやめればいいのに」と思う。一人で過ごす夏なんてそんなものだ。麦茶がおいしいとか、アイスが好きだとか、そんなことしか思わない。仕事がほしい。あったらあったで忙しくて開放してほしいとか言ってると思うけど、暑い部屋で勉強だけを強いられながら一人で生活していては、気分はどんどん狭い路地に追い詰められていく。なんだか、良く考えたら、私は育てば育つほど、狭い所に追い詰められて、反応が鈍っていくように思う。なんでほしい時に仕事がないかなぁ…。
そろそろ自分も、嫌いなものから遠ざかるためでもなく、好きなものになりきるのでもなく、ちゃんと、ほんとの成長をはじめないと。これでは人に、依存し過ぎる。ちょっと出かける。またあとで書く。
7月23日
10年くらい一緒にいた金魚が死にました。和金です。病気でなかったのがせめてもの救いですが、久しぶりに本当に大切なものをなくした気分です。
なんかやな予感がしていたのです。しばらく。
大切なものが死ぬような。それはある人かと思っていたんだけど、金魚だったのか。あーあ、これは結構痛手だなー。前者でなくてよかったということにしよう。朝まで生きていたのにな。人間は人によっては死の直前まで煩いが、こいつは死ぬまでずっと静かなものだった。
7月22日
夏休みの宿題が一部を除いて終了した。
友人から「海山川行きてぇー!花火も!暇でしょ、遊べ!」といった内容のメールが連日届く。「暇じゃないです」と返す。
そういうことの繰り返しです。この何週間かは。暇だけど、友達に暇って言うのいやなの。暇なら暇で、やることがある。やりたいことも、やまほどある。
そう言えば、12歳の時に、私は飼育委員をやっていました。兎担当で、「かわいい?」「好きなの?」と誰かに聞かれると、「はいっ!」と笑顔で答えていたが、あの時の自分が兎を本心でかわいいと思っていたようには思えない。つか、兎たちはもともと、安価な食用兎だったのであんまり大事にされていなかったし、拾ったとかで一匹だけ入ってきたアンゴラ兎はなんか汚くて、すぐ怒って怖かったし、普通の神経してるならあんまり仲良くはなれないでしょう。
大人たちは自分をどんなふうに見ていたんだろうな。あの不潔な兎小屋の中に夕方閉じこもって兎の糞を拾い、野菜のかすをばらまく自分をどんなふうに思っていたんだろう。けなげ?明るい子供?だろうか。動物好き、とか
大人を自分を監視しているカメラのようにしか考えていなかった子供の自分が懐かしく、怖い。彼らがレンズではなく、その内側に感情を動かしていると知った今日では繕うこともうまくなったが、あの頃は自分の意志とは全く関係ないところで大人たちの自分への評判や感じ方が動いていた。
大人も私の本心を知らなかっただろう。「子供は単純だから、裏がない」と思っていたかもなぁ。
実は夕方すっかり暗くなってから、私はウサギ用の人参とかを食べていたが、それを見つかってはいけないと思ってすごく警戒していた。兎小屋の天井は高く、兎には必要のない空間がずっと上まで続いていた。短冊切りになった人参を兎と一緒に食べながら、よく、その空間の闇に自分のださいスニーカーの足が脱力してぶらさがっているのを見かけてぞくぞくしていたものだ。
あれを思い出すと、子供ってのはそら恐ろしいものだと思う。大切に、気味の悪いことから遠ざけて育てるべきかもしれない。子供の心を大人は理解できず、大人の心を、子供がうまいこと交わすこともできない、そういう時期だった。あれは。
今でもたまに同じ幻を見る。ファミリーレストランの薄暗いトイレのドアを開けるとそこに、公園のトイレのドアを開けるとそこに、カーテンを開けるとそこに、赤に白いラインが三本入った、あの頃のお気に入りのスニーカーを履いた日本の足が、ブランとぶら下がっている。なんでかトイレが多い。夏に多い。このまえまでは、あれは小さい頃に自分が読んだ、「少年H」の一節からきているのかと思っていたが、どうやらあれは違うかもしれない。あれはもしかして、自分が三年間飼育委員をしていた中で、いつの間にか見るようになった、自分自身の死の幻であるのかもしれない。
その幻覚を見るときは、分かるのだ。ドアやカーテンに手をかけたときに。「ああ、くるな。」と。なぜかそういう時に限って、私は急いでドアを引こうとする。カーテンを勢いよく開ける。足が見えて、それで終わりだ。焦って見上げた時には、そこにはもう何もない。鼓動が速くなる。それがいつまでも尾を引く。こないだもそうだった。その時不意に、兎小屋での毎日を、思い出したのだ。 今年ももう三回見たよ。
7月21日
日本史演習の講習を受けた。トップで合格。ひとまずよかった。
自分が、47都道府県を全部言えないことを、先生に言われて初めて気付いた。今夜中に全部北から言えるようにする。「悔しいぜ!」と思ったので克服する。
もっと書きたいのですけど、師匠のホームページの、昨日、今日の日記読んだらドヤ文学がうつって、書いても書いても指から「ドヤ!ドヤ!ドヤ!」って出てくるので震えている。18日の日記を書いていた時の高揚感はどこへ行った…。怖い。
夜中に「日記が書けないんです。ぶるぶる…」ってやってる人がいたら、それは私です。思い通りに書けないと、ほんとに眠れないです。いや、いつも書けないけど、最低限のラインというのが、ありますよ、やっぱり。
あの晩からまっすぐ足で歩いてきた私が
まっすぐ人を貫いて
素知らぬ顔で信号を渡り
さいならとか言う
線路の周りは全部水たまりで
たたら踏んでるうちに電車が来るんだ
さいなら
さ。
7月20日
井の頭公園へ行く。
鯉が大きい。わーお。昔ここのボート乗り場の従業員さんが、死んだ鯉をビニール袋に入れて引きずっていたが、あのでかさは嘘ではなかったのだな。
かけうどん食べる。500円。冷水器の水飲み放題。あはは。
煙草買う。(ココアシガレットだよ。)
日焼け止めの進化に驚く。全然ドロドロしていない。
電話する。電話する。電話する。
改めて思った。私は色々不器用すぎる。
サンモールとかいうところを散策する。あれはウィンドウショッピングか…靴を見る。靴だ。いっぱいあります。靴ひもも売っている。こんなにあるのですな。そしてABCマートってのは
どこでもあるんですね。
ジーンズメイトを見る。じんべえだ。あのじんべえと似ている。じんべえじんべえ。
くーるびゅーてぃーってなんや。
女の子の嫉妬は怖すぎる。怖い。
ちょっと今日、そんなことを思いました。
すみません。ちょっと、楽しいながらも疲れ、眠すぎて、このような日記に…明日また書きなおします。
7月19日
「泣けば許されると思ってるのか」というのが私がずっと言われてきた言葉で、その答えは、いつも、「思いません」でなくてはならなかった。その答えが、今でも神経に刻み込まれているように思う。それで私は人前で泣かない。それを十数年も続けていたら、人前では泣けなくなった。意志とは関係なく。
実際泣いても許されないことばかりかというと、そうでもないのは誰でも知ってることで、いつも泣かない人が泣くのなら、「許される効果」は倍増だ。
「ああ、まあ、いいよいいよ。」「そんな泣くほど反省してるならいいよ」とか、「泣かれちゃあ許すしかないじゃない」、「泣かれると困るんだよー」とかって言って、許されることが結構多い。「涙は女の武器」とかって言われるほどだから、異性にはもっと効果的かもしれない。
泣くのは便利だ。泣くのは悪いことじゃない。泣けばいい。
私は泣いて過ちを犯したことを許してもらったことはない。殴られて許してもらったことや、必死に弁解して許してもらったことはあるが、泣いて許してもらったことはない。物心ついてからは。
それらはその場で泣けば即座に許されたことかもしれないが、弁解の途中で泣きそうになったなら隠す。それは、やっぱり、泣いて許されるなんて卑怯だ、と思うから。それは負けだ、と思うから。反省している自分にも、間違ったことをした、以前の自分にも、負けることだと思うから、だ。情けないからだ。悔しいからだ。嫌だからだ。許せないからだ。
泣かないので薄情、冷酷、と言われることがある。
いいぜ。べつに。
いってなさい。ほんとに私が薄情冷酷かは、知るべき人が知っていて、私がクールな性格か、そうでないか、それともそのような言葉で表すのは愚かなのかは、知るべき人が知っていて、この世でたった一人が知っていれば、それでいいのですよ。
おじさん、おばさん、結婚おめでとう。めでたいね。うまくやんなよ。ここ、読んでるわけないけど。
7月18日
今日は結婚式
ホームページって言うのは、何を書けばいいんですか。すごく恥ずかしいです(笑)
でも昨日の日記とか消せないし、いや、もちろん消すことは可能ですが、それなりに頑張って書いているわけで、結構な愛情を注いで昨日一日を書いているわけでして、やっぱり消したくない。もうちょっとうまくかけよとは、いつも思っていますが。
「やっと文章が苦しまずに書けるようになったよ。」みたいなセリフは、よく出てきますね。あんなの言ってみたいですね。
私はこんなことを言ってますが、短くても、後から読めば出来が悪くても、文章を書き続けるのは、やっぱり苦痛よりも快感とか幸せが多いからです。そりゃそうです。あとは、意地です。
私は何回も書くのをやめろと親に言われたことありますし、結構な頻度で馬鹿にされています。別に自分で上手いとも思いません。
でも忘れられないんですよ。原稿用紙だけがお友達だった小学生の頃の必死さとか、作文の工藤と言われた日々とか、死んだ親戚に文集を送って、北海道からの電話で祝ってもらった冬の夜とか、なんども書いては塾の自習室のゴミ箱に捨てた渾身のラブレターとか、自分の作文の載っている文集を、新しく本棚に追加した時の、あのしゃがみこんじゃうような感じとか。作文のおかげで仲良くなれた人とか、作文ができるから認めてくれてる人とか、それに何より、作文がやっぱり好きでたまらないんですよ。やっぱりそうなんです。泣いちゃうくらい。ほんとに。
がつがつした文章を書いた後に、さいごに紙飛行機飛ばすみたいに流れ込む結びの言葉を、うまくかけたときとか、うまくかけなくても、最初の一節はすごく気に入ってる、とか。そういうのがもう忘れられないんですよ。びりびりきちゃうんですよ。だから自分は、こうやってかきながら、その瞬間を待ってるのかもしれません。小学校1年とか2年とかのときに、「プール」っていう詩を書いて、文集に載ってから、だめだなぁ、もう、忘れられない。って。ほんとに、あの最後にバシッと来る感じが。水面を打つ鰹に似ている。うどんの麺を打つ振動に似ている。嘘じゃないです。格好付けじゃないです。凡人ですけど、凡人ですけど、誰だって一度味わったら手放せなくなります。そりゃそうです。
もし自分が天才なら、一瞬でも作文を忘れることはなかったでしょう。でも忘れかけました。その時出会ったのが師匠でした。作文を思い出しました。しばらく忘れていたのでかけなくて途方に暮れたのを覚えています。あんまり人には言いませんが。
そうだなぁ、私は、「白い雨」とか、「プール」の時をこえる満足をこれからの作文で、誰よりも自分が、得たいです。純粋に言えばそういうことです。うわ恥ずかしい。
7月17日
私は今むしゃくしゃしています。さみしいです。5人の友達と1人の仲良しに慰めてもらっても癒えないくらいにです。何もかもが絶望的に思えます。何もかも手放したい気分です。
なので今私は小さな字を書いて、杜子春を書き写しています。肩が凝ってもなお書き写します。
昼間にも朝にもいいことはたくさんありました。しかしそれを思い出して癒えるような苦しみは少ないです。
しかしそれで街へ出て行って不良ぶったことをするかと言えばそれは違います。昔はそうでしたがいまは違います。煙草も酒もやりません。夜にまぎれて自販機の破壊もしません。
何の間違いも犯したくありません。これはまっすぐに生きたいからです。そう強く思うからです。
で、杜子春を書き写します。なかなかすっきりするようです。
7月16日
登校日だったので学校へ。補習のガイダンスを受ける。なんか金髪のやつばっかいて嫌だった。仕方ない。テスト休んだんだからそれの後始末だ。これは。
しかし、「なんなのあの子、受験クラスでしょー?」みたいな目で見られて悔しかった。弁解するのも格好悪いから黙っておいた。
家に帰って白いご飯を食べていた。おかずを作る気力もないし。なんちゅうことだ…。あーあ。
数学を勉強しようとして机に座ったが、家が暑すぎて二時間で断念。学校の友達が変な服をくれたので親に見られないようにしまっておく。
くそう。トマトを安く買った。いいだろ!
星を見てたらベランダで寝てました。
夜3056番
たいていの科白はどうでもよかった
つまらないものばっかり
もうだめ
ぼく、つかれた。かえる。
そんな日は町が全員夜の顔で
甘いぬっくりした闇を
ひと筋もふた筋も光る涼しい風が吹き抜けてるんだ
それだけさ
もう、つかれた。ぼく、ねたい。
7月15日
寂しかったし数学にも飽きたので、自転車をこいで外に出た。公園をいくつか回って、途中、持参したたらこスパゲッティーを食した。相変わらず美味しいねぇ。しかも一食200円もかからないんだよね。
実は明太子スパゲッティーだったのでのどが渇いたが水飲み場には子供が群がっており、犬をかき分けてそこまで行く気にもなれず、我慢してコンビニへ行き、しかしコンビニに着いたところで財布を忘れたことに気付いた。要するにそんなことに金を使うなということだ。わかったよ。
何もせずに帰るのはもったいないので、その辺にある雑誌を読み漁って帰った。空が青い。やっぱり誰かと遊びたい。誰にも会わないと、昼も夜も関係なくなってくる。自分がどこへ出かけようとしているのか忘れる。というか最初から決めない。気楽なんだが、なんかねぇ。
御覧の通り夏休みといえども何をするわけでもないので、あんまり書くこともない。
今日は弟の友達とその弟が来て、人生ゲームをやっていた。私が弟の持っているゲーム機を指差して、「それ、DS?」ときいたら、「何言ってんの、PSPだし。」と言われた。どう違うんだよ。時代遅れなんだろうか、私は。しかしあの弟は可愛かったなぁ。
大学生はなんかみんな免許取るとか何とか、レポートがなんとか、とか言って学食行ってもいないし、つまんない。なんかテレビとか見てもふやけたようなのしかやってないし。お母さんと弟はジャーキー・チェーンのこと話しているので入れないし。父親はたまに電話してきたと思ったら成績がどうだった、とか、お母さん仕事はかどってるのかな、とか、なんからちあかないことばっかり聞いてくるし。もう!
最近同じ夢ばかりみていて、ちょっと疲れる。駅まで出てみようか。でも誰にも会わないだろう。大体駅で誰かに会ったところで、「遊ぼうぜ!」とはならないだろう。デニーズに行ってみようか、もっと誰にも会わないだろう。デニーズで誰かに会ったら「遊ぼうぜ!」となるだろうか。やめよう、やめましょうこんなことは。
昔の作文「白い雨」を読みなおしていた。最近これを読んだと言ってくれる人が多いから。いま読み返すと結構抜けてる所もあるなぁ。でもこの作文は色々と思い出深いのです。
あー、この作文を作文発表会で読んでほんとによかったなぁ。ほんと、いまでも読むたびにそう思う。
7月15日
昨日何時まで起きていたのか記憶がない。徹夜でベクトルをやるつもりだったのに。寝た?いつ?
起きたら1時半でありました。久しぶりに汗を書かずに寝たようです。机の上で寝ていたようです。非常に腰が痛いです。いつものことですが。家の冷蔵庫が「ひー、ひゅー」と言っている、あれは暑さで半ばやられているのです。もう死にそうなようです。激安だったから仕方ないけど、あれが壊れると出費が酷いのですよなぁ…とか何とか思いながら、「ああ…寝たのか」とか言って起きてお粥を作りました。海老を入れたら味はおいしいけど、ちょっとだけ生臭い。
机の前にはった、学校で配布された「夏休みの計画表」を捨てる。「なんじゃこんなもん」とか言って。何やってんだろうね、ほんと。きのうはるきとしゃべったことを思い出したりする。水をぐっと飲む。もう朝ではないんだなぁ。
私は勉強をしなければならない。勉強だ。ああ、勉強。そう言えば…いや、もういい。もうテストのことは言うまい。テストはテストで、勉強は勉強で、学びは学びである。何を言ってるのか分からない。寝ぼけているのか。一度も寝ていない布団の上でこれを書いていたら、もう一度眠りそうだ。もう昼だって言ってんだろ。
嬉しいことがあって、「夕帰りの子供たち」という名前を褒めてくれた人がいて、自分でなぜその名前にしたのか思い出そうとしたけど全然思い出せなかった。でも言いたいのはそういうっことじゃなくて、このホームページの正式な名前は「夕帰り」ではなくて「夕帰りの子供たち」です。ということ。まあどっちでもいいんだけど。フルネームでトップに書いたら見づらかったので「夕帰り」と書いておいたのです。
それから、小説とかそういうものも書くかもしれませんが、色々と誤解を呼ぶようなので違うページに載せます。このホームページ内のどこかに「裏」ってところに入れるところがあるので、見つけたらそういうものが入っているところなんだと思って通り過ぎてください。まだ何も入ってません。わざわざ探すことはありません。そんな大層なものではありません。
ところでいいかげんに夏季講習の予習をせねばなりません。しかし私がいつも夏季講習の予習の時に食べていたアンパンマンの棒付きチョコレートがコンビニで売ってないのに気付いてちょっと動揺しています。
夏の快晴
汗をかけ
まずいこと、思い出しなさるな
少年Hの青年とか
少年Hの空白とか
夏の幻想はすべて雲のあいま
地を這い
球を投げることで
いつか永遠の結びつきをほしいままにしたい
鮭のシールを子供が喜ぶ
ガラス越しにガスタンクに反射した雲が
流れている
互いの汗をぬぐいあいながら
なにか飲みつづけ、
いつかは片方が消えるだろう
それはどちらの負けでもなく
ただあそこには
苔むしたゴミ箱が転がっている
明日も今日も変わらぬ
十年も百年も変わらぬ
それより先には
また夏の幻想と
雨の後の霧
反射する雲の濃淡が
足の爪の先から
水飛沫をあげる
そういう今日の記憶だ
くり返される執着はいつか
7月14日
蘆花公園近くの環八沿いサイゼにて、はるき(
改造社H式騒動のlampray)とドリンクバーでお話をする。窓から緑が見えてとても素敵なサイゼだった。快晴であった。
その後公園でキャッチボールをして、公園探検をした。しかしなんとたくさん猫のいることか!
蘆花公園の中にはお墓もあって、萱葺き屋根の「蘆花夫妻邸」があった。夫妻邸についてはあまり近寄れなかったが、お墓はとても面白かった。お墓にも猫がいた。
夕帰りした。夏なので、ずいぶん明るい。
夜はロースカツをお母さんが作ってくれた。久しぶりに食べたので胸やけしたけどおいしかった。
師匠のホームページの十周年オフ会のことについて、はるきと話したりした。結論、師匠に会いたくなった。そういうことです。
中華料理店「たかや」を帰り際に見つけて、にやにやしながら自転車をこいだ。やっぱり凄い青空だ。
やたら眠いが、今日は徹夜でベクトルを学ぶことにする。
7月14日
三時間寝ました。
夏休みになると隈ができます。みんなに不思議がられるけど、夏休みのほうが断然夜型なのです、私は。だって次の日学校ないし、授業ないし、なんでも、自由!
いつ昼寝しようとどうせだれも見ていないし。
夏休みの素敵なところって、いつでも寝れるとこだろう。とか言ってると、結局色々やりたくなって、いろんなところに行きたくなっちゃって寝ないんだよなー。それもまた、夏休み。むしろ、それでこそ夏休み。
今後の予定としては、16,17日に学校へ行けば後は夏休み。夏休みですよ。夏休みがあるから学生は生きていられる。わーい。楽しく勉強したい。楽しく遊びたい。
うーん、難しいのですよ、これが。夏休みは踊る大捜査線3見ようか見まいか悩んでいたが、見ないことに決めました。そろそろ踊る大捜査線からも卒業するころだと思うし。ねえ…
織田祐二も年取ってきたし、ねえ。
さて、今日は学校へ行かなくてはならないが、しばらく友達にも会わず、風の音とか雨の音とかを聴きながら、草木と戯れ、あんまり普通じゃない大人とお話したりして、後は勉強しかしていない日が何日も続いているので友達とちゃんと喋れるか不安です。あはは。
友達としゃべるのって、他の誰かとしゃべるのとはわけが違うからなあ。工夫が必要なんだよなぁ。
しかもその工夫って、しばらく使わないとすぐにすっかり忘れる。
長い夏休みをはさむと、真っ黒に焼けて、まるで自分は砂の一粒だという気分になる。
「あー、僕は永遠に夏です。友達なんていないよぅ。いらねぃよう。」という気分になる。そのまま学校に行かなくていいなら、そんなにかいいだろうな。いや、廃人になるのは目に見えていますな。
結局私はちょっと束縛がないとまっすぐいけないんだー。別にマゾじゃないけど(最近はたまにマゾかもしれないと疑うときもありますが)、誰か私をもうちょっとだけ束縛してくれい。※あくまで法に触れない方法で。
いやー、いさしぶりに白いシャツを着てスカートをはいたらばりっとした。よっしゃ、いっちょ学校に行って、ばりっとした文句でも吐いてきますか。
いってきます!
7月13〜14日
今日は、土用の丑の日になるとうなぎが高くなるというので、同じものなのに倍近く金を払ってうなぎをたべんのは癪だと言って、家族全員の意見が一致したのでサミットにうなぎを買いに行った。付いていたタレをつけて焼いて食べる。美味しい。やっぱりうなぎはおいしい。すごくいい。これで夏バテも防げるのだからうなぎは本当にいい。
夜みんなが寝てからこっそりホームページ作り始める。あいまあいまにBE FREE(江川達也先生の漫画。講談社。)読む。へへへ。いいぞもっとやれ、って気分になる。いろいろと食べる。不健康だが構わず食べる。後で野菜わんさか食べますから大丈夫、とか思いながらな。
緊張感のあるようなないような態度でホームページ作成をしていたところ、なんかできたようだ。師匠に見ていただこう。
こ、これは思ったより嬉しいですわ。
勉強について:伊勢物語の方言表現に四苦八苦
伊勢物語14段より
『夜もあけばきつにはめなむくかたけのまだきになきてせなをやりつる』
訳:夜が明けたら、まだ朝でもないのに鳴いて夫を帰らせてしまった(けしからん)鶏を水桶に投げ込んでしまおう。
こんなんわかんない。古典辞書に載っていなかったので塾行って授業受けてから質問した。「きつ」は水桶で、「くかたけ」は鶏、なんだとさ。疲れた。「せな」は、ほんとに夫の意味なのかよくわかりません。
夕帰りとか言うと少年少女な感じだが、もう夜の2時だし、こんな遅くまで起きてちゃだめだなあ…しかしね、うれしいんですよ。ホームページができて。と言ってもかなり簡単なものですが、不器用なりに頑張ったんですよ。
さー、ねるか。明日学校だし。寝なきゃならんわ―。